‪ロナルド君が笑って「ドラルク」って言ってくるんだけどあまりに笑顔が意地悪く禍々しいのでこれ絶対ロナルド君じゃないな…って事務所でなるドラルクの話

大鴉

 なんで煙草なんか吸ってるの? とドラルクはロナルドに聞いたことがある。ロナルドは決まった銘柄の赤い箱を買ってはいるが、その頻度はそれほど高くなく、時折一ヶ月も前に買われた煙草の箱がデスクの上に転がっていることがある。中を覗けば半分も減っていない。煙草を吸う人間にしては減るのが遅すぎる。
 大体ドラルクはロナルドが煙草を咥えているところをそれほど見たことがない。賃貸である事務所ではもちろんのこと、ベランダのない部屋では吸う気は起きないのかもしれない。昔はもしかしたらキッチンの換気扇の下で吸っていないのかもしれないが、今ではキッチンは完全にドラルクの支配下に置かれている。
 そんなことをドラルクが思い出したのは、ふと嗅ぎなれない匂いを感じたからだった。ロナルドは事務所で仕事をしているのか、部屋の方にはおらず、カーテンの締め切られた部屋は真っ暗だ。遮光機能の高いカーテンは外の光を一筋も通さない。
 ドラルクはふと気が向いて、事務所に続く扉を開ける。すると風が吹き抜けてドラルクのマントを揺らした。事務所の蛍光灯はついていなかったが、部屋の中は奇妙に明るかった。ブラインドが上げられた窓から差し込む月の光が、部屋の中を照らしていたからだ。月の光はドラルクの目には明るくうつり、その分の部屋の暗がりはよく見えなかった。
 明るさと暗さが混じり合う部屋の中で、ロナルドはデスクに座ってぼんやりとしていた。
 風が吹き込んだのはブラインドが上げられている窓が開いていたからだ。夜の少しばかり冷えた空気が室内に吹き込んで、ロナルドの髪を揺らしている。パソコンの電源も入っておらず、彼は明かりもつけずに何をやっていたのだろうとドラルクは不思議に思った。
 ドラルクがロナルドに声をかけようと口を開く前に、ロナルドは室内に入ってきたドラルクに気がついたようで、ゆっくりとドラルクの方を向いた。
「ドラルク」
 何の感情も篭っていない平坦な声だった。月の光が開けられた窓を通して、彼の横顔に差し込んで、彼の髪が光っているように見えた。光の当たっていない半分は暗闇に沈んでただ瞳だけがらんらんと輝いている。瞳孔が開いてすら見える彼は、声とは裏腹に口の端をあげて笑っている。
 さて、ドラルクは、ロナルドを見て何かを言おうと口を開いて閉じた。目の前の彼が常の様子ではないことも原因の一つだったし、ロナルドがデスクの椅子から立ち上がって、ドラルクの方へと歩み寄ってきたからでもあった。
「ドラルク」
 ドラルクの目の前の彼はもう一度その平坦な声で、ドラルクの名前を呼んだ。ロナルドは平坦な声の分だけ表情に感情を乗せるように、らんらんとした瞳を細めて、笑みを深くする。普段はその造りの良すぎる顔は豊かな表情で覆い隠されているというのに、こうして見ると迫力のあるものだとドラルクは思う。そして、近づいていくる彼を避けるように後ずさるか、それともそのまま立っているのかしばらく悩んだ。
 そして悩んでいるうちに、ロナルドはドラルクの目の前までやってきた。窓を通り越して、月光はもう彼の
横顔には差し込まず、影に沈んで表情はよく見えない。暗闇の中で光る燐光のように、瞳だけが浮かび上がっている。
「君は、一体、なんだ?」
 ドラルクはロナルドの様子を眺めて、口にした。そう聞かれたロナルドは、一層に目を細めて、喉の奥で静かに笑う。鈴のような声は、普段の彼とはあまりにも似ていない。
「もしそれであの若造に化けているつもりなら、下手すぎるぞ」
 ドラルクの目の前で男は首をかしげる。薄く開けられた口の中が濡れて赤いのがわかる。ゆっくりと指が伸ばされて、ドラルクの頬に触れた。彼の指は体温の低いドラルクでもわかるくらいに冷たい。ドラルクは冷や汗をかいた。煽るようなことは言ってみたものの、相手がなんらかしらの怪物であればドラルクに勝つ術などないに等しい。
「俺は、」
 男が口を開く。それと同時に、事務所の扉が開く音がした。
「ただいまー」
 のんびりした声で事務所に入ってきたのは、今ドラルクの目の前にいるのと全く同じ外見をしたロナルドであった。唯一違いがあるとすれば、珍しいことに彼がタバコを吸いながら帰ってきたということくらいだ。事務所の灯りが消えているから、誰もいないとでも思ったのか、手探りで灯りをつける。蛍光灯が瞬いて、部屋の中が一気に明るくなった。明暗差にドラルクが目を瞬かせると、いつの間にか目の前の男は消えていた。
「ぅおっ、お前、真っ暗な中何やってんの?つかなんで窓、開いてるんだよ」
 さみぃじゃん、とぼんやりと立ち尽くすドラルクに気づいたのか、ロナルドが驚いて声かける。ドラルクは、どこから説明したらいいものか、わからずにロナルドの方を眺めやる。
「何ぼさっとしてんだよ?」
 何も言わないドラルクに、ロナルドは少し不機嫌そうに表情を歪めて重ねた。こうして改めて見ると先ほどの何かは外見だけしかロナルドに似ていない。下手な化け方をしたものだ。そういう類のものは招かれなければ入っては来れないというのに、この事務所はあの看板のせいで時折こうしたことがおこる。それにしても若造の姿をなぜ借りたのか、ドラルクには到底わからなかった。
「ロナルドくん、入り口の看板さ…」
 外せとも、外すなとも二の句を継げられず、ドラルクは少し困った。あの看板がなければ、ドラルクはロナルドの事務所に入ることができない。不便なものだ。何か永続的な約束を、ロナルドがしてくれれば良いのだけれど、とドラルクは思い、それからそんなものが存在しないことを少しだけ不満に思った。
「おい、ドラ公」
 喋りかけて、黙ってしまったドラルクにロナルドは不思議そうに話しかけた。けれど少しばかり様子のおかしいドラルクに付き合う必要性を感じなかったのか、携帯灰皿で煙草をもみ消して、ドラルクの方へと歩み寄ってきた。近づいてくるロナルドには煙の匂いが染み付いている。
 なんで煙草なんか吸ってるの? と聞いたことがあるのをドラルクは不意に思い出した。それから煙があのロナルドを祓ったのかもしれないと思い至った。
「お前、静かだと気持ち悪りぃな、調子悪いのか?」
 そういってドラルクに触れるロナルドの手は、先ほどの彼とは違い煙草の匂いがして、ひどく暖かかった。

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