日は沈んだけど、まだ夜というほどではない時間帯に二人で窓の外見ていちゃいちゃしてるドラロナ

青い色をした夕方

 雨が降っている。濃い灰色の雲は随分と分厚いようで、空を覆い尽くしたそれは太陽の光をすっかりと遮って、窓の外は日があと数分で沈むとは思えないほどに暗かった。ロナルドの視界には決して入らない場所で小指の先くらいしか地平線の上に残っていないだろう太陽は、それでも夜の暗闇とは違う色を空気に残していた。
 吸血鬼が、というよりもこの場合はドラルクがではあるが、陽光に当たればすぐに死んでしまうのだということは二人の間では当たり前のことだった。けれどさすがにぼんやりとしている間にも沈んでしまうだろう太陽と、それを遮る分厚い雲、そして雨まで降っていては、その薄い光はドラルクを殺すことはないらしい。ぎりぎり光に当たっていないといえばそうなので、そのために死なないのかもしれないし、ロナルドとドラルクが二人揃ってぼんやりとしているうちに太陽は沈んでしまったのかもしれない。日没時刻にはアラームが鳴るようになっているドラルクの携帯は、今は充電が切れて沈黙をしていた。
 窓から差し込む濃い青色の光が不思議な透明度でロナルドの肌に当たっていた。雨の音がしとしとと湿度を伴って鼓膜を叩いて、妙に静かな気分になる。ロナルドの隣に座っているドラルクも同様なのか、二人は共にただ黙っていた。気まずい沈黙ではなかった。空気中に満遍なく水分が行き渡り、普段であれば外で降りしきる雨はロナルドの隣に座っている吸血鬼を殺しうるが、室内ではもちろんそんなことはないのだった。二人の間にある沈黙にも水分は行き渡っていて、なんだか世界から空白というものがなくなったような錯覚に陥る。
 水槽の中にいるみたいではないだろうか、とロナルドは思った。口を間抜けに開いたら、ぽかりと空気の泡が浮かんで昇り、はじけて消えていくような気がした。
 ドラルクとロナルドは「そういう雰囲気」になった時に時折セックスをするが、肉体的に近づけば近づくほどに二人の間には厳然とした境目が存在するのだと感じることができた。それは例えば冷たい体温だったり、小さく光る赤い瞳だったり、口の中を舌で嬲る時に気をつけなければならない牙だったり、自分よりも随分とゆっくりと脈打つ心臓だったり、もっと単純に皮膚というものが二人を隔っているという厳然とした事実だったりした。
 違うというのは良いことだとロナルドは考えている。自分と同じものなど愛せるわけもなく、自分と違うからこそロナルドは自分の隣で生きている吸血鬼を好きだと思うことができる。
 けれどこうして、空中の分子がぎちぎちに膨張して収まっている、あるいは満たされているような気分になるのも嫌いではなかった。
 窓ガラスに叩きつけられる雨は流れて大きくなったり、別れたりして、ガラスの上を滑っている。ガラス越しに映るビルの光がイルミネーションのようにきらきらと沈んだ青色の空気の中で瞬いていた。
 ロナルドは隣に座っているドラルクに、彼を殺さない程度に寄りかかる。自分よりも少しだけ低い体温はもうロナルドに慣れ親しんだ安堵を与えた。吸血鬼退治人としては多分よくない習慣だろうなとは思うが、ドラルク以外の吸血鬼の体温を感じるようなことは稀だから良いかととりあえず誤魔化してはいる。いつかこんな事が自分の命を奪うだろうかとロナルドは考えるが、それは疑問にはなっても確信には至らない。
 ロナルドはドラルクの手をとって、はめられた手袋の滑らかな感触を指先で二度確かめたあとに、それをゆっくりと脱がした。他意はなかった。あるとしたら皮膚に触れたかったからくらいのものだ。ドラルクはそれに何の反応を示さなかった。眠っているのだろうかと思って、ドラルクの表情を見ると彼はロナルドの顔をじっと見ていたようで、視線がぱちりとあった。だがそれだけだった。
 ロナルドは視線を外して、ドラルクの少し冷たい掌を片手でゆっくりと確かめるように握った。ドラルクがロナルドから視線を外した気配はなかったが、別段どうでもよかった。ロナルドがドラルクの視線がどうでも良いように、ドラルクもまたロナルドが自分の掌をいじっていることなどどうでも良いらしかった。
 ロナルドは土踏まずをソファの端にひっかけて膝をたて、自分の膝の上にドラルクの掌をのせる。ほっそりとした指はよく見るとそれなりにしっかりしていて、手入れの行き届いた皮膚は、ロナルドの手と比べると随分と滑らかだ。いつも布の下にあるそれは、ドラルクの顔と比べると若干白いような気がした。顔色よりもいっそう死人めいて見える肌色は、ロナルドにとっては見慣れたものだ。ドラルクの指先が優雅に、ともすれば嫋やかに見えるのは、彼の所作によるものなのだろうな、とロナルドはぼんやりと思った。
 美しい動きをする手は今はロナルドの良いようにされている。マニキュアの塗られていない爪を指先で撫でるとつるりとしている。灯のついていない室内ではロナルドの視界はあまり明瞭ではない。ドラルクはそうでもないかもしれないが、気にはならなかった。だんだん暗くなる室内で、輪郭もだんだんおぼろげになるのを見ているのは、妙な気分だ。
 その妙な気分を、ロナルドは時折ゆっくりと噛み締める。自分の心の底から水が染み出すように、穏やかに湧いてくる感情を見極めるために。あるいは単純に存分に味わうためにだ。
 ロナルドがいじっているドラルクの少し冷たい手に、だんだんとロナルドの体温が移っていく。昔、理科でやったような気がするな、とロナルドは思う。熱が自分の手からドラルクに移動して、やがて温度は一定になる。
 雨がしとしとと降っている。濃い青色に沈んだ室内は完全に真っ暗にはならないが、ロナルドの視界からだんだんと物の輪郭を失わせている。ドラルクの呼吸が聞こえる。まるで水の中にいるみたいだと思う。空気が湿度を含んで、境目がなくなってしまいそうで、溺れそうに湧いてくる感情に満たされていると思う。
 満たされている、と思う瞬間をロナルドはなるべく意識しないようにしている。ともすれば忘却に努めてさえいるかもしれない。
「ロナルド君」
 目を閉じようとする直前、ドラルクが口を開いた。ロナルドはドラルクの方に顔を動かしたが吸血鬼の表情は生憎はっきりと見ることができなかった。ドラルクの手袋がはめられたままの手が自分の頬を撫でた。上等な布の感触が頬を滑る。
「ドラ公」
 なんだよ、という代わりに名前を呼んだ。ロナルドは自分がドラルクが自分をじっと見ていたことがどうでも良いわけではなかったことに唐突に気がついた。どうでも良いのではなく、何をされても構わないだけだった。もしかしたらドラルクもそうだったのかもしれない。輪郭の溶け出す青い色をした夕方は音もなく雲の向こうで過ぎて、もうすぐ夜がやってくる。

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