ロナルド君が死んだので、ちょっと死んでみようかなあって思ったドラルクの自殺未遂の話
自殺未遂
ロナルドが死んだので、ドラルクは死というものを考えるようになった。かつて「死とはどのようなものか」とロナルドに問われた時、ドラルクは死ぬという感覚を全く言語で表せないことに気がついた。それは純粋な体験であり、それをどうにか言葉として捻り出せるとしたら、一度「死」を体験した存在との、感覚の共有でしかあり得ないだろう。したがってドラルクはその時ロナルドに「人間は死んだら草原へ行く」などと言ったのだが、もちろんそれはでたらめである。ドラルクは吸血鬼なのだから当然人間が死んだらどこへ行くのか、あるいは「人間の死」というものがどういうものかなど分かるはずがない。
これは今でもそうである。
どうにも不思議なのだが、ロナルドが死んだ今となってもドラルクには「人間の死」というものが分からない。いなくなってしまったというのはわかる。ここにはいないということだ。端的な不在で、ドラルクの生活にはぽっかりとロナルドの形をした空白がある。けれどもそれだけだ。ドラルクの生活に劇的に追突し、徐々に浸透したロナルドという存在は、突然に劇的にいなくなり、そしてまた徐々に薄れて行くのだろう。
それが「死」なのだろうか。
わからない。
ドラルクは自分の手のひらの上で、「ロナルドの死」という事実を確かめるために転がしてはいるが、いまいち実感がないのが本当のところなのだ。彼が生きていると思っているわけではない。棺桶の中で眠っているように収まっているのを見ながら焼香もしたし、なんだったら夜の火葬場にもついて行き、からっと骨になるまできれいに焼かれた結果も見た。骨壺に入りきらない骨を砕くのも見たし、それを箸でつまんで骨壺にいれることさえもしたのだ。
ロナルドは死んだ。ドラルクはそれを知っている。把握している。知覚している。
吸血鬼ドラルクは、すぐに死んでは生き返るその性質から、死と馴染み深く、また誰よりも死から隔たっている。彼にとって死とは、ここではない場所に行くことで、しかもその場所はいつだって「ここ」へ帰ってくる道筋が示されているのだ。黄色いレンガ道の続くオズの国。彼は踵を三回鳴らすまでもなく、いつだって家に帰ってこれる。
だから彼に訪れた「ロナルドの死」が自分に訪れるあの馴染み深い「死」とどう違うのかが分からない。ドラルクにとって死はあまりにも身近故にちょっとした散歩の体すらあるが、それでもまずいと感じることはある。「死に続ける」ということが彼にとって最も「人間の死」に近い形になるだろう。塵のまま流水に流され二度と集まることができなければそれはドラルクにとっての「死に続ける死」となりうる。あるいは朝日を浴び続ければ、彼は二度と塵から再生できなくなるだろう。これは「人間の死」に近いものだ。
竜の一族は力のある血族であるが故に、老いすらもコントロールができるし、自身の寿命もわからないのが本当のところだ。祖父や父は日の光ですら平気なのだから、何が彼らを殺すことができるのかドラルクには見当もつかない。だがドラルクは、本当は、死ぬことができる。再生のできる死ではない、永遠に戻っては来れない死だ。
新横浜の馴染みの冴えないビルの上で、ドラルクは白む空を見ている。地平線の下にまだいる太陽は、あまりにも明るいから姿を表す前でさえ空の色を変え、星の輝きを隠してしまう。
ドラルクの腕の中にいるジョンは、ドラルクを見上げるばかりで何も言わない。このままここにいればドラルクは死ぬことが出来るだろう。腕の中の使い魔は泣いてしまうだろうが、すこし興味があったのだ。
あの若造が経験した死というものが知りたくなってしまった。彼の骨はすっかりと砕けて今や壺の暗闇の中なのに、吸血鬼である自分が明るい太陽の下に身を曝そうと思っているとはひどく奇妙な感じがした。
だんだんと明るくなってくる地平線から、一筋の骨のように真っ白な光が伸びてドラルクの片足を焼いて塵にする。ドラルクはバランスを崩して屋上の床に倒れ伏した。倒れ伏した時に投げ出された左腕が陽光に触れて、消えて塵になった。陽光の下で銀色に煌めいている塵たちは集まろうとする動きを封じられ、うっすらとした煙が出ていた。
このままここにいたら、再生できなくなるのだろう。
ドラルクは目を細めて思った。日の光はドラルクの瞳には少々明るすぎる。永遠に帰っては来れない死がそうしてドラルクの頭上に訪れる。頭が痛むのでぎゅっと目を瞑ると目頭からじわりと涙が出てきた。そこで唐突にドラルクは理解した。
片足と片手でなんとか自分の体を引きあげて、ドラルクは屋上の扉を開けて、階段へと戻った。朝日を浴びた塵たちはジョンが集めてきてくれるだろうとドラルクはため息をついて、暗い踊り場に座り込んだ。
最初から死ぬ気はなかった。ただ体験してみたかっただけだ。「人間の死」というものを。帰っては来れない魔法の国を覗き見してみたかった。だがそれは片道切符しか存在しない旅だ。ドラルクにとって、ロナルドの死とはロナルドの不在を意味している。そしてその不在が永遠に続くことをドラルクは理解した。戻っては来ないとはそういうことだ。永遠の不在がすなわち喪失だ。人間は死そのものを嘆くのではない。その不在と喪失を、もう永遠にどんな方法を用いてもその存在に触れることができないことを嘆くのだ。
帰っては来れない場所を垣間見ることはどんな存在にもできない。
もちろん死と馴染み深いドラルクでさえも、ロナルドの行った先を確かめることはできない。そこまで気がついてドラルクは初めて、骨壺に収めるために砕いた骨のひとかけら、あるいは焼かれた灰のたった一粒でも、身のうちに取り込んでしまうべきだったのだと気がついた。この世で彼に触れられるとしたら、もうそれしか残っていないのだと、ドラルクはようやく理解したのだった。