ロナルド君の同意なくロナルド君を吸血鬼にしたら、なんか相性がよくなかったみたいで、めちゃくちゃ時間かかってるのでその間ロナルド君の面倒見てるのがめちゃくちゃに楽しい不健全なドラルクのドラロナという虚無。手癖で書いたので途中からよくわからなくなった。

あめにうたえば

 窓の外で、雨が降り続いている。
 けぶるような雨が降っていて、視界が霞んでいる。息を吐いても白くならない春の訪れにドラルクは気持ちが上向いてくるのを感じる。この間百貨店で見繕って買った黒にも見紛う臙脂色の華奢な傘をくるりと回すと、小さな細い糸のような雨が傘にあたってぽつぽつと音を立てるのを聞くことが出来た。
 石畳の上を雨は綺麗に通って坂の下へと落ちていく。この坂を上り切ったところにある小さな家がドラルクの当面の帰る場所だった。片手に持った茶色の紙袋の中には愛しい使い魔のために買った食材と、カーテンを作るための生地があった。分厚い遮光カーテンがかかっていた窓からはほとんど日が差してはこなかったのだが、先日ジョンがカーテンに引っかかって随分と大きな裂け目ができてしまった。日が昇る前の明け方だったからよかったのだが、まだ日差しの気配が薄く感じられるだけの薄明るい空を見て〝彼〟がすこし眩しそうに目を細めるので、カーテンを付け替えようと思い立って買いに行ったのだ。
 ドラルクは上機嫌に鼻歌を歌っている。その平坦な音程では彼が何を歌っているのかなど、ドラルクにしか分りはしない。石畳に革靴のヒールがぶつかる音がこつこつと小気味よく、ドラルクは目を細める。
 あめにうたえば、こころもかるく

 その家は坂を上り切ったところにある小さな狭い家だ。アパートと雑貨屋に挟まれて、路地の隙間に無理やり作ったように細い。二階建てで、通りから窓を覗き込むと、片方が取り外されたカーテンの間から家の中が少しだけ見える。滑らかな白い、けれど随分昔に陽に焼けたままの天井の壁紙だとか、ここに越してきたばかりの頃に一つだけ家具を買おうと思って選んだ華奢な柄のオレンジ色のランプだとか、ドラルクを待っているだろう彼の腕だとか、が見える。その光景はドラルクに奇妙な高揚を覚えさせる。
 そうするとドラルクはなぜか随分昔に路地で絡まれた女のことを思い出す。燃えきれないひどい匂いが鼻腔をついて、それがすぐにドラッグだとわかった。薬で酩酊している女は湿って生暖かい柔い体をドラルクの細い体に押し付ける。その重さでドラルクは思わずよろめいて、死にかけた。女はドラルクが吸血鬼であることも気がつかず(こんなにもオールドスタイルな格好をしているというのに!)ぐにゃぐにゃの体で世界の秘密を打ち明けるようにささやく。世界は素晴らしいよ、溶け合うんだ、あんたも、あんたのお友達も、海も、山も、世界と神様! 幸福と快楽っていうのは同じ形をしているんだ、何にも変わらないよ。
 キーケースから鍵を取り出そうとすると手が滑ってそれが石畳に落ちた。音をたてるそれに意識が現実へと戻っていく。ドラルクは静かに息を吐いて、鍵を拾った。そうして細く笑う。どんなドラッグよりも酩酊感をもたらす現実がここにあるのをドラルクは知っている。
「た、だいま」
 ドラルクは華奢な傘を閉じて、玄関の棚にひっかける。一階のキッチンに買ってきたものをあらかたおいて、何を作るか考える。今日は時間がたくさんあるからパン生地からパンを作って焼くのも良い。缶詰のコーンスープやミネストローネばかりだとジョンに文句を言われてしまう。
 紙袋から分厚いカーテン生地を取り出して、ドラルクは上機嫌で階段を上がっていく。ぎしぎしと耳障りな音を立てるそれにも慣れた。二階にあがって左手に通りから見た時に覗くことのできる部屋がある。
 日に焼けた白い天井の壁紙や、傘を選んだのと同じ百貨店で買ったランプや、窓から少し離れたロッキンチェアーに座って寝ているロナルドとか。ドラルクはそれを認めて静かに微笑みをこぼしてから、ミシンを取り出す。買った生地はシンプルな白い遮光生地で、二、三時間ほど動かせばそれなりに形になるだろう。縫っている間にもしかしたら、ロナルドも目を覚ますかもしれない。もはやアンティークの域に差し掛かった古いレコードプレーヤーに、ドラルクはレコードをセットする。陽気なものが聞きたくて、埃を被っているものを引っ張り出す。あ、めに、うたえば。
 口ずさみながらレコードに針を落とせば、能天気な音楽が流れてくる。白い生地と同じ色の糸を取り出してセットする。針を進めてリズミカルな音が耳を麻痺させる。彼は窓の傍で寝ている。幸福と快楽は同じ形をしている、とぐにゃぐにゃと水っぽい女が不快な体温を押し付けながら言う。あなたはおんなじ匂いがする。私と一緒です、私と一緒。
 レコードプレーヤが音楽を垂れ流している。あめにうたえば、またしあわせになれた、なんて、幸せな、きぶん!
 彼が眠っている傍の、窓にぽつぽつと雨があたり続ける。
「いらないんだよねぇ」
 ぶつん、と糸が切れる。ドラルクは舌打ちしたい気分を押さえて、ミシンのボタンに糸をセットし直す。白いカーテン生地は厚くて縫いにくい。音楽を打ち消すようなミシンの音に、彼が目を覚ますこともない。雨がゆっくりと降り続いて、時間の感覚が損なわれていく。いいや、そんなもの、少し前から完全に抜け落ちている。時間はわかる。今は朝、今は昼、今は夜。明け方、夕方、真夜中、深夜と早朝の合間の昼に生きる生き物が全て息を潜めている時間。テレビでは場違いなチョコレートのCM、リゾートならば地中海ギリシアと囁かれる。でも今日は本当に昨日の続きだろうか。今日は本当に明日へと続いていくのだろうか。ドラルクには分からなくなってしまった。一日の始まりが世界の始まりで、一日の終わりは世界の終わりだった。ドラルクの世界は太陽が死んでから始まり、地平線が明るくなるころに終わることになった。少し前から、人間の感覚を持っていればそれはもう随分と昔かもしれない。
 脳のどこかからじわじわと染み出して、意識の片隅から麻痺していく感覚がする。そしてそれが心地よい。女が口をぱかりと開けて笑っている。上の前歯の真ん中に、わずかな隙間があって、そこから息が吹き出て小さく音を立てている。やっぱりそうでしょう、あなた、それは。
 がしょん、と間抜けな音がして、カーテンは縫い終わった。いつのまにかレコードは回転しきり、ぶつぶつと音を立てるだけになっている。そこの窓にかけるつもりだったのだと思って、窓を見ると彼が目を覚ましている。ぼんやりとしたからっぽの錆かけた赤い目が眩しそうに細められている。地平線の下の太陽の光を見ているかのように。ドラルクはそれに気がついて、カーテンをまとめて、ロッキンチェアーの傍による。
「おはよう、ロナルド君」
 彼は瞬きを繰り返す。ぼんやりと鈍重な仕草で、首を傾ける。音がしたほうに向くというただそれだけの単純な動作。
「カーテンを作ってたんだ。眩しいかと思って」
「ジョンと一緒に生地を選んだんだよ、きっと君は喜ぶだろうなあ」
「そういえば、そろそろ冬が終わるらしいよ」
「ロナルド君ってミュージカル好きだったっけ?」
「ねぇ」
 ねぇ、とドラルクは吐息と区別のつかない声をかけて、ロナルドの手のひらをとって頬に寄せる。昨日よりも確実に冷たい手のひらであるとドラルクは信じようとする。真夜中と明け方の間の鈍重なテレビ。リゾートなら地中海ギリシア、バケーションは楽しく。女がドラルクにしなだれかかって笑う。ドラルクに彼女を振り払う力はない。あなた、きっとクスリをやりっぱなしで、頭の中身が溶けちゃってるのよ。そうかもしれない、とドラルクは思う。この日常を支配する高揚は圧倒的でそのくせ怠惰だ。まるで麻薬のように一秒一秒の全てに染み渡って何もできない。一日の終わりは世界の終わりだ。感覚が刹那に、一瞬で飛び去って戻らない。明日のことは考えられない。昨日のことは思い出せない。今、ドラルクにあるのは、このときだけだ。
 雨の降る音と、息をする音しかしない。目の前のロナルドの瞬きはゆっくりすぎて音もしない。銀色のまつ毛がなだらかに上下する様はかつての彼と何も変わらない。あ、めに、うたえば、こころもかるく、なんてしあわせな、きぶん!
 並んだレコードのケースにドラルクは目をやって、中に収められているいくつもの真っ黒なレコードについて考える。ロック、パンク、ミュージカル、クラシック、ロカビリー、サイケ、ブルース、ジャズ。ドラルクは目を閉じて、手のひら温度を思う。そうして、窓から差し込む月の光が目蓋を通して美しい透明な青色をしているのを見る。ロナルドの塵一粒すらもないかもしれない変化について考えて、笑った。
「ねぇ、君は、どんな夢を見ているのかなあ」
 いつ私と同じになってくれるんだろう、とドラルクはささやく。クスリをやりっぱなしで、あなた、きっと、私と一緒。時間の感覚がない。今日の終わりは世界の終わりだ。昨日は太陽と共に溶けて、明日はもうすでに灼きつくされた。レコードプレーヤーからはもう何も聞こえないのに、ドラルクの耳には歌がいつまでも残っている。
 あ、めに、うたえば、こころもかるく。

 窓の外で、雨が降り続いている。

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