吸血鬼のロナルド君と吸対のドラルク、海へ行く

海へ行く

 吸血鬼対策課の寮に駐車場はあるが、それほど広くはないし、もっぱら自転車かバイクがせいぜいで車が停められるスペースは寮に入る人数よりもだいぶ少ない。ドラルクもご多分に漏れず車は所有していない。昔は実家に車があったのだが、寮に移るのを機に誰も乗らないのに維持費ばかりかけているのも意味がないと処分をしてしまっていた。
 だから吸血鬼のくせに虚弱なドラルクよりも日光耐性がある、ドラルクの監視対象となっているロナルドが、ガイドブックとともに海の写真を見せてきた時は面倒くさいなあと思った。
「ここに行きたいの?」
「お前と海行きたい」
 っていうか海行きたいだけだけど、お前とじゃないといけない、と言われて、ドラルクはさもありなんと頷いた。吸血鬼ロナルドは確かに今は人間に害を加えることはない、とされている。されているし、実際に害を加えてはいない。けれども歯抜けの資料から想像される彼の遥か昔の残虐ぶりは、現在の無害さを持ってしても払拭が難しく、ひっきょうどこに出かけるにも、ロナルドはドラルクの監視下にいなければならないというのが実情だ。
 とはいえ、ドラルクも腕っぷしが強いわけでもない。ただロナルドがなぜかドラルクの言うことだけは聞き入れるので、彼の監視任務についているだけである。実際に彼が暴走したら、ドラルクは自殺するくらいしか彼を止める術がないのだ。
 この強制一蓮托生はどうだろうか。ロナルドの暴走はすなわちドラルクの死。しかも聞き取りをするにロナルドは善性が強いタイプの人格を有していない。正確には善悪を感覚に落とし込むまでには学びきれておらず、教科書を覚えるように脳みそになんとか納めているに近い。
 善悪の基準がゆるゆるな強大な力をもつ吸血鬼がどうしてドラルクの言うことだけは聞くのか。もう少し反抗的であれば、いくらなんでもドラルク一人がロナルドの監視任務につくことはなかっただろうに。
「っていうかここすごい遠いね」
「電車とバスでのりつけば行けるぞ」
 電車とバスで三時間半。しかもバスの運行は一日二本だ。あまり現実的ではない。つまりロナルドかドラルクのどちらかが車を出した方が早そうだ。
「行くなら車借りて行く方が行きやすそうだよ」
「ドライブなら、俺が運転したい」
 最近ドラルクの監督のもと、教習所に通いつつ免許を取ったロナルドは、わりと運転が好きなようで、ドライブに行きたがる上に運転したがる。海に行きたいのも八割くらいは本当だろうが、二割くらいは単純に運転がしたいのかもしれない。ちなみに若葉マークがまだついているだけあってか、それとも彼の元々の気性なのかロナルドの運転はそれなりに荒い。いざ事故ったらドラルクを抱えて車の外にでも飛び出せば万事解決と思っている節がある。
「うーん、まあ、車あんまり通らない一本道だったらね」
「じゃあ、いつ行く?」
 あ、しまった、とドラルクは思ったが、後の祭りだ。ロナルドの運転の荒さと、どこなら運転させられるかを考えていたら、あっという間に海に行く流れになってしまった。行かないよ、と答えてもいいのだが、ロナルドからどこかに行きたいと言われることもあまりなかったものだから、物珍しいのもある。
「これ、休日出勤扱いになると思う?」
 そしたら行っても良いなあ、とドラルクが呟く。ロナルドと海に行くのは、まあ切り替えれば楽しそうではある。虚弱で日光に当たりすぎると若干疲れてくるアウトドアとは基本無縁のドラルクだが、海に行くというレジャーはあまり経験がないだけに興味をそそられないといえば嘘になる。それにロナルドと行くとしたら力のいる仕事はほとんどロナルドにやって貰えばいいし、楽そうだ。
 ロナルドの監視任務は二十四時間三百六十五日の終わりなき仕事だが、遠出なら立派な仕事扱いになる気がする。休みに遊んで、それを休日出勤扱いにし、翌日を振替休日にして二連休をゲットしたいなあと悪知恵が働く。
「吸対のオフィスで暴れておいた方がいいか?」
「え? 海に行きたいって? 君が?」
 そうそう、とロナルドは答える。
「そしたらお前の休日出勤も認められるだろ」
 まあそうだろうけども、とドラルクはロナルドが吸対のオフィスで暴れる様を想像してみたが、この吸血鬼が「それほど被害を及ぼさない程度に暴れ、要望を訴える」という繊細な行動ができるとは思えなかったので、渋い表情を浮かべるに止めた。
「うーん、そしたら出勤の日に私の目の前で急に駄々でもこねて、適当に人への被害を匂わせる程度にしておいてくれ」
 カレンダーをみながらドラルクは経理締め日の翌日あまり仕事がなさそうな日を指差す。お誂え向きに翌日は休みである。
「わかった」
「なるべく朝早くにしよう」
 そしたら長く遊べるもんね、と言うとロナルドは少し茶色がかった赤い瞳を輝かせて、頷いた。

「人いねーな!」
「まあ、なんだかんだ平日だからね」
 そう言うわけで、車を借りて、お弁当までしっかりと用意をして出勤をし、ロナルドの華麗なる駄々こねによってドラルクとロナルドは仕事という体で海に行くことに成功した。
 電車とバスを乗り継いで三時間半、車なら二時間半の海は綺麗で、それほど人も多くない。ガイドブックに載っているくらいだから穴場ということはないのだろうが、何せ辺鄙な場所にあるので、アクセスの良いところほどは混まないのだろう。
 高速を降りて、車が少なくなってきてからの運転はロナルドに任せてのもあって、日光の下で五歳児かと思うほどに彼は元気だ。本当に吸血鬼か?血色の良い肌の色と相まって、彼が笑っている口の端から覗く牙と瞳の以外は吸血鬼と思える要素がゼロだ。
 直射日光がじりじりと自分たちの上に降り注ぐのに早々にグロッキーになりつつあるドラルクは、さきほど海の家で買った麦わら帽子をかぶっている。つばが広いのが影を多く作ってくれて多少楽にもなるというものだ。大した値段ではないが、これは経費で落ちたりするのだろうかという疑問がちらと脳内をよぎる。
 ロナルドはどこでその知識を仕入れたのかしれないが、パラソルやビーチチェアを借りたいと騒がしい。浮き輪はすでに買ってあったので、海の家でそれを膨らませ済みで早速泳ぐ気らしい。
 流水平気だっただろうか? とドラルクは記憶をさらったが定かではない。風呂などは別段嫌がらずに入っているから、もしかしたら平気なのかもしれない。流水と日光が平気で、血色の良い肌で水着をきて、浮き輪を持って海に突撃せんとする元危険度S〜A級吸血鬼。本当にそれでいいのかと問い詰めたい姿である。
「私はここにいるか、君は好きに遊びなさい。私の目に見える範囲でね」
 海の家のスタッフが適当な場所にパラソルとチェアを設置するのを横目でみながらドラルクはそう言った。一応目の届くところにいてもらわないと困るが、それ以上は縛るつもりもない。
「え?!お前一緒に泳がないの?」
「私は泳げないし、泳ぐつもりもない。限りある体力だ、配分させろ」
 ロナルドはドラルクの言い分に少し不満そうだったものの、ドラルクの虚弱さ体力のなさはよく知っているからか二の句は継がなかった。ビーチチェアに寝そべるドラルクにじゃあ行ってくるわと手を振って走り出す。大層元気だ。
「いや、本当に吸血鬼という定義が揺らぐよ」
 ドラルクはため息をついて、波打ち際で足踏みをしているロナルドを眺めた。

「なぁ、ドラルク」
 みていた限りでは流石のロナルドも海という流水には太刀打ちできなかったようで、一旦浮き輪で海に入ったものの一分くらいで根を上げ(そもそも一分も海に浸かっていられることの方が驚きだが)波打ち際で遊ぶことにしたようだ。一時間ほど飽きることなく遊んでいたが、それ以上することがなくなったのか、ロナルドはドラルクの元へと戻ってきた。
「どうした、五歳児」
 五歳児じゃねーとロナルドは答えてから、岩場があるから行きたいんだけど、と続けた。
「ここからだと見えないところだからついてきてくれよ」
「えー、暑いから嫌なんだけど」
 陸から海に吹く風は涼しく、湿気が少ない。日の当たるところと影になっているところでは快適度に格段の差があり、ドラルクはパラソルの下を動きたくはなかった。
「監視任務があるだろー」
「海にまで連れてきてやっただろ」
 パラソルの下から動く気ないぞ、と付け加えると、ロナルドは少し考えるそぶりをした後で、徐に砂浜に深々刺さったパラソルを片手であっさり抜いた。
「ええ〜? ゴリラ…何か言ってから行動をしてくれ」
「? パラソルの下から動きたくねーなら、パラソル動かすしかねーじゃねーか」
 まるで折り畳み傘を担ぐように肩に虹色のパラソルをかけるロナルドの力の強さにドラルクは舌を巻く。ロナルドは昔からこう言うところがある。力で解決できることは常識を放って、無理やりやり切ってしまう。
「……そんなに遠くは無理だぞ」
「大丈夫! すぐだから」
 そう言って指を差す方向は、小さな砂浜が終わるところで確かに岩場になっていた。

 ちょうど干潮の時間だったのか、岩場のくぼみには海水が溜まり、普段はあまりみないような、小さなエビや蟹、小魚や貝などが泳いでいる。
「うぉ、なんかキレイなのいる」
「あ、ウミウシじゃない? よくみつけたね」
 ロナルドはパラソルを肩にかけてはいるが、なるべくドラルクが影にはいるようにパラソルを傾けている。彼なりの気遣いらしい。二人してしゃがんでくぼみを見ているとロナルドは尖った爪の先に青と白の縞模様のウミウシを器用に乗せていた。
「ほかにもいんのかな」
「さあねえ」
 しゃがんで岩場のくぼみを覗いているので、サンダルを履いた四つの足が並んでいるのが見える。ロナルドは赤いサンダルで、ドラルクは黒いものだ。血色の違いがよく見えて、足だけ見て、どっちが吸血鬼だクイズをしたら十中八九ドラルクの足が指されるだろうなとぼんやりと思う。
 しゃがんで疲れてきた足を伸ばすためにドラルクは立ち上がる。ロナルドは他にも何かいないかとじっと岩場を見つめている。
 夢中になりすぎたのか、がらん、と大きな音がしてパラソルが岩場に転がる。弾かれたようにロナルドがドラルクを見上げた。ドラルクもいきなりさした日の光に目がちかちかとした。
「あ」
 ごめん、とあやまるロナルドは何故だかぽかんとしてドラルクを見上げていた。ドラルクもロナルドを見下ろして、なんだか胸をつかれたように動けなかった。
 強い陽光がロナルドの瞳に差し込んで、日の光が指している箇所だけが、燃えるように赤い。まるで鳩の心臓のような、海に沈んだ珊瑚のような。どれもドラルクは見たことがないのにそう思った。
「ロナルドくん」
 まるで本当に吸血鬼であるかのような、美しい色をしている。
「戻ろうか?」
 そう言って笑う。うまく笑えているのか、ドラルクはあまり自信がなかった。
「そ、うだな」
 おぼつかない口調で、日のさした美しい瞳を持ったまま、ロナルドは呆けたように答えた。

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