2ページ目は夢十夜の第三夜のパロです。第一夜も好きだけど、三夜も好きです
夢十夜・第三夜
こんな夢を見た。
ドラルクはロナルドを背負って歩いていた。自分よりも体格も良く、鍛えられた体はかなり重いはずで、普段だったらドラルクが背負えるはずもない。だというのに、ドラルクはロナルドを背負っていることをあまり疑問に思わなかった。だらりと自分の右肩から下ろされているロナルドの右腕は脱力している。赤いジャケットの袖が見えるので、彼は退治人であるようだ。その証拠にロナルドを背負っている背中はドラルクにとっては熱いくらいだった。
「どうして君は私に背負われているんだい」
自分がどうして彼を背負って歩けているのかというよりも、彼が大人しく背負われている方が不思議だった。だらりと垂れた腕に力の入らぬまま、背中でロナルドは吐息混じりに笑ったようだった。それはお前、俺がもう歩けなくなってしまったからだよ。
声はロナルドのものに違いないが、言葉つきには幾分か違和感があった。歩けなくなってしまった彼に心当たりはなかったが、言われてみるとそうだったような気もした。それでこんな、意味のわからない重労働をしている。
空は全くすかっと晴れて太陽がじりじりと二人を灼いていた。それも変だ。ドラルクは青空の色を見たこともなければ、太陽の光に焼かれて生きていたことはない。光が青みがかった紫色のレンガで舗装された道を照らしている。ドラルクはその道に従って歩いている。道の左右にはミニチュアの街並みが並べられ、それはどれもが見知ったものだ。ごちゃりと固まった建物たちは進むにつれてだんだんと廃墟になって崩れていき、しばらく砂以外何もない様相になってしまった後で、また唐突にミニチュアの街並みが現れる。そのサイクルが飽きず繰り返されている。
人気はまったくないのに、鳥だけが空を飛んで、街並みに影を落としている。ロナルドはドラルクの背中に背負われたまま、ドラルクにはうまく聞き取れない言葉に何かを話し続けている。その声はひどく懐かしいような気がして、ドラルクは動物の泣き声に返事をする飼い主のように相槌を打っている。
進み続けると分かれ道にたどり着いた。右はシュバルツバルトの鬱蒼とした森に続いており、左はミニチュアの街並みなど存在せず、ただ青紫のレンガが続くだけになっていた。どちらに行こうかとドラルクが迷っているとロナルドが唐突に呟いた。
「左だろう」
「左?」
「海に続いてる。どっちにいっても同じなら、早く終わった方がいいだろう」
どうしてわかる? と聞くと、鷺が騒がしいからだ、とロナルドは答えた。先ほどから落ちていた鳥の影が鷺であったことにドラルクはようやく気がついた。気がついた途端に、真っ青な空から稲光が落ちて、飛んでいた鳥が地に落ちてきた。それをきっかけとするように雨がぽつりと降ってくる。いやな天気だ、とドラルクはため息をつきたくなった。あいもかわらずロナルドはドラルクの背中で笑っている。
「鷺は死んだぞ」
「そうか」
死ぬかもしれないなあ、海が近いなら、とロナルドは言った。ドラルクは常と違ってロナルドが何もかもを理解していて、この全く訳のわからない状況に翻弄されている自分を嘲っているようで気に入らないと思ったが、それでも彼の言うように左に進んだ。もう背負っている彼を下ろしてしまいたかったからだ。けれどもどこかに行き着かなければそれが許されないともわかっていた。
ぽつりと降り始めた雨は、だんだんと勢いをまして、ドラルクと背負っているロナルドを打ち据えた。背負ったロナルドからぽつりと落ちてくる水滴が首筋を伝って、それが妙に熱いのが不快だった。だらりと垂らされたままの腕から雨に薄まった血液が垂れて道に落ちる。
ドラルクはふと自分が進んできた道を振り返る。するとそこには点々と血の跡が続いていて、降り出してきた雨に流され、消えて無くなるところだった。突然にドラルクは今自分が背負っているロナルドが全く間違いなく死んでいることを思い出した。彼は随分と前に頭を割られて死んでいたのだった。そしてその遺体をドラルクは捨てに歩いているのだ。
目的を思い出して、彼は振り返るのをやめて道を進み始めた。捨てる場所が一緒なら、なるほど確かに森を迂回する必要はなかった。ロナルドの言っていることは正しい。
「全く死んでいるっていうのは不自由だと思わないか」
「だから負ぶってやっているんじゃないか」
「そうだよ、お前におぶわれないといけねぇんだからな」
ロナルドの体は大層うるさい。ドラルクは黙ってレンガの道を歩き続けていた。砂漠のような不毛な土地に雨は降っては吸い込まれていく。その中を道を不規則にうねってなかなか思うようには進めない。自分の右肩からだらりと垂れたままのロナルドの右腕はいつの間にか様相が変わっている。脱力したてのひらについた爪は伸びて赤い。赤いジャケットは黒い色のものに変わっている。袖のボタンが雨に濡れてひかっている。
そのまましばらく進むと潮の匂いが強くなり、なるほど海が近いのがよくわかった。
「もう少しだな」
あの日もこんな夜だった、とロナルドは続ける。もうドラルクが背負っている彼の体は熱くもなく冷たくもない。ドラルクと同じ温度をしている。
「何がだ」
なにがって? とドラルクの言葉を面白がるようにロナルドは笑った。
「知っているだろう」
言われると知っている気になった。雨は相変わらず激しくうっていたので、行き着くところのない果ての海は灰色をしていた。砂は境目もなく砂浜になり、レンガは途切れていた。砂浜に足をおろすと、水分を吸った砂が擦れて、くしくしと鳴いた。波が激しく音を立て、静寂とは遠い浜辺だった。
ドラルクの右肩からだらりと脱力して垂れていたロナルドの右腕がゆっくりと動いて、ドラルクの右肩をつかんだ。ドラルクが力を抜くと、ロナルドの死体はすっかりと死体の気配をなくして、ドラルクの隣に立っていた。ロナルドは雨に打ち据えられ、彼はうっとおしげに銀色の髪をかきあげて、ドラルクを見た。額にこびりついていた血液が剥がれて落ちる。彼の瞳はその血液と同じ褐色がかった赤色をしていた。
「夜が明ける直前だったよな」
ロナルドが赤い爪の尖ったてのひらを差し出しながらそう言ったので、ドラルクはロナルドの手を取った。彼の開いた口から牙がみえて、ドラルクが繋いだ手からはまったく同じ体温が感じられるのだった。二人の繋がれた手のひらの合間を雨が入り込んで流れていく。
ドラルクは唐突に何もかもわかったように笑って答えた。
「ああ、そうだったな」
「雨が降っていたな」
ロナルドがその瞳を細めて言う。ドラルクはもう、彼の瞳が青かった頃のことなど思い出せないことに気が付く。
「降っていたとも」
波が激しくうなって、その海面を申し訳ないかのように雨がたたいていた。波音は爆音に似て、ドラルクは笑みをさらに深めた。けれどそれはどこか絶望と疲弊を感じさせるものだった。
「なぁ、ドラルク、お前が俺を殺したのは、今からちょうど百年前だな」
言葉はまるで刃のようにドラルクの脳髄に突き刺さって、ドラルクは痛みにも似たその感覚に思わず目を瞑った。
「おい、寝てんなよ」
ビーチチェアに寝転がっているうちに眠り込んでしまっていたらしく、微睡から目を覚ますと、不満そうな顔をしたロナルドが足元あたりでしゃがみ込んで、ドラルクを見上げていた。
「……ゆめか」
「なんかやな夢見てたのか?」
うなされてたぜ、と言うロナルドはしかしドラルクの悪夢にはあまり興味はないようで、浮き輪を脇に挟んだまま、つまらなそうに砂の中に手のひらを突っ込んでいる。太陽の熱で温められた砂浜の中は奇妙に暖かく、それが面白いのだろう。
「いや、嫌な夢っていうかねぇ…」
夢を思い出そうと細部を掴もうとすると、それはほどけてどんどんと曖昧になっていってしまう。ドラルクは自分の脳裏をめぐるつながりのない幾つかの情景を思い起こすために目を閉じた。赤い退治人服を着たロナルドのことを、思い出したのは本当に久しぶりだった。
「なぁ」
ロナルドにかけられる声は、ドラルクの記憶の「どの」ロナルドとも違って、どこか幼げな響きがある。
「それ、逆だぜ」
突然まぶたを突き抜けて陽光が差して、ドラルクは目を開けた。さきほど岩場に行こうと誘われた時に引き抜かれたパラソルは、戻ってきたときにロナルドがその馬鹿力でまた砂浜に刺してはいたのだが何せ安定しないのでぐらりぐらりと風で揺れるのだ。
「逆?」
目を開けるとロナルドが立ち上がってこちらを覗き込んでいた。蛍光ブルーに塗られたような空が目に痛く、逆光で表情がよくわからないロナルドの瞳だけがくすんだ赤色に見える。
「お前が俺を殺したんじゃなくて、俺がお前を殺したんだよ」
しんと沈黙が辺りを支配して、ドラルクは一瞬自分の耳が聞こえなくなったのかと思った。は? と喉から乾いた息が漏れる。ロナルドはゆっくりと目を細めて、普段の彼からは考えられないような歪んだ表情で笑った。
それから赤く伸びた爪をぴたりとドラルクの痩せた胸にあてて、小さな声で言う。
「今からちょうど百年前に」