吸ロくんの誕生日
8月8日
花束を。
ドラルクが花束を買ったのは、気紛れに過ぎなかった。吸血鬼のくせに昼間に起きているのが好きなロナルドは今日は珍しく棺桶の中でぐっすりと眠っているのを確認したから、夕飯の買い物に出かけていた。ドラルク自身は小食な方だが、ロナルドは人間の食事をよく食べる。
吸血鬼が人間の食事を取るかどうかはその吸血鬼の趣味嗜好によるところが大きいが、燃費がそれほどよくないのに血をあまり飲まないロナルドは人間の食事を好んでいる。ドラルクも食費が経費で落とせるのはありがたいことだなと思いながら、レシートを財布の中にしまう。今日は少し疲れているので、あまり凝ったものは作りたくないし、なるべく火を使わない夕飯が作りたいなとドラルクはもうすぐ夕焼けになりそうな空を視界の端に移して、帰宅する。
家の近くのスーパーからの帰路に、花屋があるのは知っていた。お盆の時期が近いからか、仏花の束が店先に置かれている。もうすぐ閉店の時間なのか、花のタイムセールが行われている。
ドラルクの両親の墓は、新横浜から少し離れたところにある。去年までは毎年墓参りをしていたが、今年は行けるのだろうかとぼんやり思っていたから目に止まったのかもしれない。まさか墓参りにロナルドを連れていくわけにも行くまい。墓に入った人間は何も言わないが、それでもなんだか後ろめたい。脳裏にその事実が引っかかっていたからか、スーパーの袋を持ったまま、ドラルクは花屋の前で立ち止まった。定価から割引かれた店先に並んだ花とは別に、ショーケースにも花が並んでいる。
赤や紫や白のいろいろな形の花の中に、夏の代名詞ともいえるひまわりが陳列されているのがドラルクの目に止まった。懐かしいな、と思ったのが一番最初の湧き上がってきた感情だった。それから次に浮かんできたのはロナルドのことだった。
吸血鬼のくせに、ロナルドにひまわりはよく似合う、とドラルクは思っている。それでドラルクは片手がスーパーのレジ袋で塞がれていたのに、うっかりと花束を買ってしまった。オレンジのカーネーションとひまわりでアレンジされた花束は、どうにも必要以上に夏っぽい。
「これ、君にあげる」
「…ひまわりじゃん」
「それ以外、何に見える?」
帰宅すると、ロナルドは起きたばかりらしく、眠そうな顔でドラルクを迎えた。着替える前だったのか、Tシャツに短パンというおよそ高等吸血鬼とは無縁の格好をしている。
ドラルクはロナルドに花束を買った理由を説明するのが面倒くさいと思ったので、先手必勝とでもいうように、花束をロナルドに渡した。
花束といってもアレンジメントされたそれは小さい。ロナルドに渡したって、どうせドラルクが花瓶に活けることになるが、プレゼントみたいなものなのだから、とりあえずロナルドに渡すというアクションはこなしたかった。
「なんだよ、突然」
ロナルドは受け取った花束をくるくると回しながら、言う。
「プレゼント」
食材を冷蔵庫にしまいながらそう声をかけると、プレゼントー? と少し間延びした疑問の声がドラルクの耳に届く。ロナルドがカウンターキッチンにいるドラルクを追って、カウンターに上半身を乗り出す。
「なんで?」
突然じゃん、とロナルドはなんでもない風に聞いてきた。心当たりが全くない様だ。まあ、確かに、この吸血鬼に何かをプレゼントするなら花束ではなく、ケーキやハンバーグといったお菓子や食事の方がよほど喜ばれたかもしれない。
そう思うと、花束なんてものを買ってきた自分が急に恥ずかしい様な気がした。
「だって、君、今日誕生日だろ?」
カウンターに置いてある小さな卓上カレンダーは8月だ。今日は8日。ロナルドの誕生日は覚えやすいので、携帯電話の日付を見てドラルクはすぐに思い出した。
「誕生日ぃ?」
ドラルクの言葉に心底驚いた様にロナルドが声を上げた。大袈裟に反応されるとやりにくいなあ、とドラルクはエプロンをつけながら思った。
「私が君に花束をあげるのはおかしいか?」
少し喧嘩腰に問いかけると、おかしかはないけどよ、とひまわりを覗き込む様にロナルドは答える。
「吸血鬼ってあんまり誕生日祝わないだろ? 俺らって年齢あってないようなものだから」
そうだね、とロナルドの言葉にドラルクは相槌を打つ。いつまで生きるのか自分たちでさえ寿命を把握できない吸血鬼たちにとって年齢とは何の区切りにもならない。だから彼らは基本的には誕生日を祝う風習を持たない。
「俺、自分の誕生日しらねーから、なんでお前が誕生日っていうのかなあって思って。俺の資料でもあった?」
あった。
と答えるのは簡単だったが、ドラルクはまな板に野菜を置いている最中にぴたりと動きを止めた。吸血鬼の能力や出没頻度などは吸対内には確かに機密情報として存在する。しかしそんなものに吸血鬼のプロフィールなど書かれている訳がない。だから、ドラルクは資料を見てロナルドの誕生日を推察した訳ではない。
「……君ってなんか夏生まれっぽいから、勝手に今日に決めた。8月8日はゾロ目で、ロナルド君でも覚えやすいだろ」
「なんだそれ」
いい加減なやつ、とロナルドは少し眉根を寄せたが大して興味がないのか、納得した様だった。
「誕生日を祝うっていいものだよ、今度パーティ開いてあげようか。ヒナイチくんやヒヨシさんとかも呼んでさ。ジョンも来てくれるかもしれないよ」
ケーキだって、ハンバーグだって、何でも用意しようじゃないか、と付け足すのがわざとらしくないだろうかと少し気になった。ロナルドはパーティの方に気がひかれた様で、そんなに呼んでいいのか!と楽しそうに笑う。基本的にこの吸血鬼は人の好き嫌いが激しく、好きだと感じた人間にはよく懐く。
くるくると花束を回しながら料理をリクエストしてくるロナルドを見ながらドラルクは野菜を切り始める。今日は冷やし中華だ。買い物をしながら急に食べたくなったので作っている。
8月8日が誕生日だったのは人間のロナルドだった。夏の暑さで記憶が混線してしまった。実際に吸血鬼のロナルドは自分の誕生日を知らないのだから、いつが誕生日だって変わらないだろう。それに彼にひまわりがよく似合うのも昔から変わらない事実だ。
生まれた時からある記憶はドラルクの脳裏に居座り続けているし、それが当たり前だから厭ったこともない。人間で退治人のロナルドと吸血鬼の自分が一緒に生きてきた記憶だ。今は吸血鬼のロナルドと、吸血鬼対策課でダンピールの自分が一緒に暮らしているわけだ。死ぬその瞬間まである記憶はあまりにもシームレスに今に繋がっていて、その記憶の中の吸血鬼が自分だと理解できる。同時に目の前の吸血鬼が赤い服を着た彼だったことも、同じ様に理解できる。吸血鬼のロナルドには生憎記憶がない様だし、思い出してほしい訳ではない。自分だけが思い出を抱えているのは不公平だと思うこともあるが、それ以上に後ろめたいことがある。
けれど時々、水面に浮かぶ泡の様に昔のことを思い出すから、ドラルクはこういう風に失敗をすることがある。だがこの吸血鬼がいつ生まれたのかを知らないのなら、ドラルクが決めたって構わないだろう。人間のロナルドの誕生日が今日だったのは変わることのない事実で、そして彼はロナルドには違いないのだから。
「そういや、お前の誕生日っていつなの?」
ロナルドの手の中にあるひまわりの花束はじっとこちらを見ているような気がする。ドラルクは自分の免許証に印字された日付を思い浮かべる。ダンピールのドラルクは春の終わりに生まれて、吸血鬼の母と人間の父に毎年誕生日を祝われて育った。だから免許証の日付は春の終わりになっている。
「11月28日」
「じゃあ、お前の誕生日パーティーもやらないとな」
パーティをやってもいないのに、もう二度目を考えているロナルドに呆れた様にため息をつきながら、ドラルクは口を開く。
「えー、嫌だよ、自分の誕生日の料理を自分で準備するのか? ロナルド君が祝ってくれるだけで十分さ」
どうせ今はもう君くらいにしか祝われたくない吸血鬼ドラルクの誕生日だものね、とドラルクは心の中で思いながら、包丁を動かし始める。