月の美しい冷たい夜だったので

 目が覚めて、棺桶から起き上がったとき部屋はほのかに暖かかった。ドラルクの住まいは城といえど賃貸なので、設備は意外に近代的である。したがって部屋を温めようと思えば、何も暖炉でなくたってスイッチ一つでエアコンが稼働する。しかし賃貸とはいえやはり城なので、やたらめったら広くもある。ドラルクは一人でこの家に住んでいるし、部屋数ばかりがある住まいで行き来する場所というのは自然と限られてくる。キッチンと浴室と寝室と、あとはゲーム部屋兼リビングくらいであるし、それも全てが隣り合っている。
 棺桶から起き上がって、次に目についたのは部屋の扉だった。扉は重厚な作りをしているが、見た目がいやに豪華なだけで材質にまで拘っているわけではないので軽い。軽いが吸血鬼の眠る場所を隔てる扉なのだから、それなりのセキュリティ(正確にいえば出力を限りなく落とした攻城兵器)があるのだが、どうやら働かなかったようだ。扉は全開だった。開け放たれた扉の向こうから暖気が流れて、寝室を温めていたらしい。
 ドラルクはあくびを噛み殺して、寝室に備え付けてあるクローゼットで身支度を整え、寝室の扉から顔を覗かせた。ドラルクがリビングとして使っている部屋には一応天井にライトが取り付けてあるのだが、それは使われていなかった。43インチの液晶テレビがぼんやりと光っているだけだ。テレビ画面にはドラルクがずいぶん前に買ったRPGゲームのプレイ画面が映っており、それをもくもくとやっている吸血鬼退治人がソファに座り込みながらコントローラーを握っている。
「いらっしゃい」
 そう声をかけると、聞いているのかいないのか、生返事しか帰ってこなかった。彼とコンビを組んで何年か経つが、テレビゲームをしにしょっちゅうやってくる彼に面倒臭くなって合鍵を渡したのはつい最近のことだった。とはいえそれを許可なく使うつもりはないのか、やってくるときには連絡が入る。今回もロナルドからゲームをやりに行って良いかという旨の連絡は来ていた。ドラルクが考えるよりも早い時間にやってきたようだが、おそらく依頼が思ったよりも早く終わったとかそんな理由に違いない。
 ドラルクはゲームに夢中なロナルドの背中を見ながら、一度浴室に向かう。ロナルドがいるだろうと思って身支度を整えたが、正直にいってシャワーが浴びたかったのだ。人が寝ている間に家にやってきてゲームをしているのだから二、三十分放っておいても構うまいとドラルクはロナルドに、シャワーを浴びてくる旨を伝えて浴室へと歩き出した。

 ドラルクが今度こそすっかりと身支度を整えてリビングへと顔を出すと、ロナルドは相変わらずゲームをやっていた。ロナルドにも気遣いはあるのか知らないが、ドラルクとゲームをやろうと意気込んでくる時にはパーティゲームを指名するが、今は一人でゲームをやりたいらしい。ドラルクはソファに座ってコントローラーを操作するロナルドを眺め、しばしどうしようか悩んだあげく、キッチンに引っ込んだ。
 外はすっかり冷え込んでいるようだったから、暖かい飲み物の一つも入れてやろうと思ったのだ。ジンジャー入りの紅茶をポットにいれて、自分用にも温めた牛乳を用意し、ロナルドの元に向かうとPRGはいつの間にボス戦に差し掛かっており、ロナルドは難しい顔をしながらターン制のコマンドを打ち込んでいる。
「外、寒くなかった?」
「……風は冷たいけど、気温はそんなに低くねぇよ」
 ダウンとか着てれば別に、と言う彼はダウンを着てここにやってきたようには見えなかった。ドラルクはテーブルにポットとミルクをおいて、自分用に持ってきたミルクを飲みながらロナルドのゲームプレイを眺めることにした。ドラルクは自分がゲームをやるのも好きだが、人がやっているのを見るのも好きである。ロナルドは今まであまりゲームというものに触れてこなかったようだが、要領が良いのかやり始めると上達が早い。それにのめり込むのか、やりこむ性質なのかどちらかは知らないが、一度始めたものはある程度極めなければという義務感にかられるようで、ドラルクの家にゲームをやりに来る頻度は結構高いのだ。今、ロナルドがやっているゲームだってセーブデータがドラルクのカードに入っているから続きが気になるといってしょっちゅうやりに来ている。
「君、いい加減、自分のハード買いなよ」
 そんなにゲームやるならさあ、と凝ったギミックをかましてくる敵をサポートキャラのデバフで打ち消しながら、半分ほどは効率プレイと呼んで差し支えない腕前を披露するロナルドのプレイを眺めながらドラルクは言う。ロナルドはドラルクの言葉に真剣な横顔をわずかに緩めた。
 それからコントローラーを動かす手を一度止めて、んー、と少し考え込むように唸った。
「家にいるときゲームやる時間なんかねぇよ」
 原稿か寝てるかメンテ、となんでもないことのようにロナルドは言う。ドラルクはロナルドの答えに少し渋い顔をした。ロナルドが口にしたメンテの範疇に食事は入っているのだろうかと暗澹たる気持ちになったからだ。
「ロナルド君、その割にはしゅっちゅうゲームしにうち来るじゃない?」
「だってやり始めたら続きが気になるだろ」
 俺は本も読み始めたらその日に読み終えたいんだよ、とロナルドは続ける。
「人の家の本の続きが気になったら借りて帰るか、買って読むでしょお?」
 ドラルクは呆れたようにため息をついたが、ロナルドはコントローラーをまた動かし始めて、ゲーム画面に意識を八割ほど割くのを再開したようだ。
「いや、だから家でゲームやんねぇんだって」
 家に置いといたら永遠に続きやんねぇんだよ、と二割残した意識でロナルドが答える。コンビを組んで何年も経つが、ドラルクはロナルドの家へと行ったことがない。行く必要がないのもあるし、この吸血鬼退治人が頻繁にドラルクの城にやってくるからでもある。
「あ」
「あー」
 色とりどりのエフェクトが飛び交っていた画面が急に暗くなる。どうやら一手しくじってボスに負けてしまったらしい。液晶画面にはパーティは全滅したというシンプルな一文が表示されている。コンティニューボタンを押すと、セーブをしたのは随分前のようで、ダンジョンに突入する前にアビリティの入れ替えでも行なっていたのか、教会の中にいるところまでロードされたデータは戻っている。こっからやり直しかよー、と文句をいう声は、言葉と違ってそれほどうんざりしたものではなかった。
「そういえば、君、今年のクリスマスどうするの?」
「クリスマス?」
 ドラルクがロナルドにそう聞いたのはゲーム画面を見て去年のことを思い出したからだった。ドラルクはロナルドの家に行ったことはないが、彼が育った施設にクリスマスに去年一緒に尋ねて行ったのだ。彼に家族がいないのは漏れ伝わる普段の生活や、あるいは彼の生業の一つであるところのロナ戦から垣間見えてはいたが、あらためて言われたのは去年の冬が初めてだ。彼の育った施設は教会に併設されたもので、復活祭と生誕祭には必ず顔を出しているのだという。
 どうして去年ロナルドがドラルクを誘ったのかについて、ドラルクは冗談めかして聞いてみたものの、返ってきたのは、コンビを組んで長いから、といった要領の得ない返事くらいなものだった。ドラルクはロナルドが己に幾ばくか心を明け渡すことにしたのだろうな、とぼんやりと納得し、それ以上追求はしなかった。要領の得ない答えはそれでも一応答えの体は為していたからだ。
「君が夜中に起き出して、眠れないからって墓場散歩したけど、今年も招待してくれるのかなって思って」
「来たいならくればいんじゃね?」
 正式な招待が必要ならするけどよ、とロナルドはアビリティの組み直しのために忙しなく画面を切り替えながら言う。ドラルクは虚弱ではあるが、由緒正しく力のある血を引いた吸血鬼でもある。したがって教会や十字架にも少なからず忌避感がある。教会内には招かれれば入れるが、さすがに礼拝の最中に長椅子に座ってお祈りを捧げるのは無理がある。できなくはないが死んでは再生の繰り返しになるだろうし、そんなもの披露しても仕方がない。ので、彼の普段の乱暴さやがさつさや、あるいはナルシストっぷりと雲泥の差があるらしい〝教会孤児院〟の礼拝中の彼の振る舞いが見られないのは残念だが、礼拝の後のささやかな晩餐には招かれればお邪魔くらいはできるのだ。去年はそうした。なぜかロナルドに誘われたから。
 養護施設における彼の聖人っぷりはシスターからよくよく聞かされて、普段とのあまりのギャップに彼がこうしてドラルクの家にゲームをやりに来ていることや、普段の自分へのイメージを崩さないことの固執や、それに反して己のことを必要最低限にしか構わないことや、吸血鬼退治の際のえげつなさや、己に対する横暴さについて話し出すことはできなかった。教会における彼は敬虔な信徒で、アンチキリストを滅ぼす戦士で、孤児院への寄付で善行を積む善人だ。毎月の寄付とは別に、イベント毎に別途寄付もしているらしい。クリスマスのそれは彼の普段の衣装も相まって一種サンタめいてもいないだろうかとせんのないことをドラルクは考えた。金銭しか寄越さないサンタというのも俗っぽすぎるが、ロナルド曰く、物より金の方が自由度が高いし、寄付は税金対策だ、とすげない。それくらい言ってくれた方が彼のイメージとは一致もするが。
 人間とは多面的であるが、ロナルドのそれはいささか度を越している。ドラルクは自分の隣で画面の光にうすぼんやりと照らされるロナルドの存外に真剣な横顔を眺める。液晶画面の青みがかった光が彼を照らして髪やまつげが薄く光っている。去年のクリスマスの真夜中に、散歩に連れ出された時も彼は思いの外沈んだ顔をしていたことをドラルクは思い出す。
 ドラルクの城のゲストルームのベッドには文句を言うくせに、使い古されてくたくたのマットレスに簡素なシーツと毛布だけの、枕さえない教会のベッドで彼は当たり前のように眠ったので、ドラルクは些か不満を覚えたくらいだった。ドラルクは確かに普段は棺桶で眠りにつくが、それも習慣の範疇であって必要があれば蓋のないベッドで眠ることもある。ロナルドが眠っている隣に用意された清潔ではあるが簡素なベッドに横になっても良かったが、大して眠くはなかった。
 0時を過ぎれば皆が眠る施設のタイムスケジュールは確かに厳守すべきかもしれないが、ドラルクとしてはつまらない。大体退治人の活動時間だってこのくらいだというのに、ロナルドはよく眠れるものだ。真夜中は吸血鬼の活動時間帯だし、招待したのはロナルドだというのにここまですっかり放って置かれるのもどうなのだろうと思わなかったと言えば嘘になる。かといってどうして欲しいというのもない。坂を上り切ったどん詰まりにあるこの教会の近くは住宅街だし、遊びに出られる場所もないのだ。ドラルクはロナルドの規則正しい寝息を聞きながら、携帯ゲームに興じることにした。
 クエストが終わった瞬間に首根っこを掴まれたので、ドラルクは一瞬に驚きで死にかけるところだった。「ガチャガチャうっせーから目が覚めた」とはロナルドの談だったが、本当かどうかわかりはしないとドラルクは思う。ロナルドは元々眠りも浅いし、短時間だ。普段だったら起きている時間に寝てしまったから目が覚めただけだろうとは思ったが、彼がこの施設のルールに則っているのだか小声で罵ってくるので喧嘩をするのは止めておいた。
「タバコ吸いてぇから付き合え」
 そう言うわりにロナルドはドラルクの意志を聞く気はないようで、ドラルクはしばし抵抗のつもりでずるずると引きずられたが、自分を引きずっている相手が部屋の扉を開けたあたりで諦めて立ち上がった。
「ここ、禁煙だから、裏回る」
「えー、窓開けるだけとかじゃなくて?」
「見つかったら小言がうるさい」
 ジャケットからタバコとライターを取り出しただけで、ロナルドは随分と軽装だったから、外に出るとは思わなかった。建物の裏手はすぐに墓地になっていて、扉から出てすぐの所で吸うだけかと思っていたら、ロナルドが足を進めるのでドラルクはいささか面食らった。クリスマスにロナルドがこんな場所に自分を招待するのもそうだが、今日は何にせよ普段の彼と違うものを見過ぎている。
「墓地あったんだね」
「建物に隠れて分かりにくいから見つかりにくいんだよな」
 歩きながらタバコを咥えて火を付ける。ぼわっと彼の手元だけが明るくなってすぐ消えた。ゆるく立ち上る煙が冷たい風にたなびいて消えていく。
「昔から君は悪い人間だったわけだ」
 彼の後ろをついていきながら揶揄うようにそう言うと、彼は何が面白かったのか、声を上げて小さく笑った。
「俺は昔は、折り紙付きの良い子供だったんだよ」
「表向きは、ってやつ?」
「今だって良い人間だろ?」
 表向きは、とロナルドは付け足して歩き続ける。それほど広くもないだろう墓地は、白い十字架がいくつも突き立てられ、その根本に故人の名前と生没年が記してあるだけのひどく簡素な場所だった。
「確かに、君はこの場所では聖人もかくやだ」
 ドラルクがそう言うとロナルドは、なんと答えれば良いのか少し戸惑うように唸った。彼は十字架が刻印された緑色のガラスのボトルに煙草の灰を落として、また咥える。
「俺は必要なこと以外はやったりしない」
「確かに善き人は聖水入れのボトルを灰皿代わりにはしないだろうさ」
 必要なこと以外はやったりしないなら、自分を招待したのはどうしてなのだろうとドラルクは聞きたくなった。夜中にタバコを吸いに来ただけなのに、墓場を散歩している理由は? あるいはそこにドラルクを連れ立たせるのは何故なのか。けれどその疑問を言葉にするには、クリスマスの夜はどうにもお膳立てされ過ぎていて、ドラルクの口から出ては来なかった。
 十字架に触れることのできないドラルクは地雷原のような墓場をロナルドの後ろについて歩いている。白い十字架はどれも装飾なくシンプルで大差がなく、十字架の根元のプレートの文字を読み取ることは難しかった。いつかはここに彼の名前が刻まれることもあるのだろうかとドラルクは考えた。それほど遠くでないいつか、必ずやってくるその瞬間のことをドラルクは想像したが、うまく像を結ばなかった。簡素なプレートの下に、くたびれたベッドと同じくらいの簡素な棺が置かれるのだろうか。
「君が死んだら、お墓ってここになるの?」
「今、俺が突然死んだらそうなるだろうな」
 そう言いながら、ロナルドはガラスボトルに吸い終わった一本を押し込めて、自分の後ろをついて歩いてきていたドラルクの方を振り返った。
「俺の体が残ってたら、そのまま埋められるんだろうな」
 火葬が一番心配がねぇよな、と続けるロナルドは、ドラルクの自惚れでなければ、そうする気は今のところはないのかもしれない。ロナルドは勘も鋭いし、頭の回転が早い。ドラルクをじっと見つめる瞳の怜悧さに何が込められているのか、わからないほどドラルクも馬鹿ではない。まぁ、でもあれだよな、とロナルドはぱかりと口を開いて笑う。タバコを吸うくせに、真っ白な歯が暗闇の中でよく見える。
「吸血鬼が死ぬと塵になるっていうのは良いよなァ」
 ロナルドが退治した999人の高等吸血鬼たちはみな彼の足元で塵になって消えたことだろう。漏れ出る血液も、重く崩れていく肉も何もなく、風が吹けば消えてなくなる。彼が今日祈りを捧げたかもしれない神はそれを魂のない生き物の証だとした。いつかやってくる世界の終わりで、肉体を持たぬものは永遠の命を得られないと、永遠にも似た時間を生きる吸血鬼を蔑むことにしたのだ。馬鹿らしいことだとドラルクは思う。
「俺が死んで塵になるなら余計な心配しなくて済む」
 だろ? と笑うロナルドはドラルクをじっと見つめている。
「例えば、墓を掘り起こされて、人間じゃなくなっちゃう心配とか?」
「俺の熱狂的なファンが、墓掘り起こしてくるかもしんねぇからな」
「ナルシストすぎる、いくらなんでも無いだろ」
「オカルティックで頭のおかしい人間っていうのは思ったより多いんだよ。お前、俺のところにくるファンレター今度読むか? 常軌を逸したコレクションあるからよ」
「そんなもんコレクトするんじゃないよ」
 はぁー、とドラルクはため息をついた。話題をそらされたのは分かっていた。ドラルクはつかの間、次の言葉を言うかどうか迷った。クリスマスに神の子の誕生を祝い祈った相手に、墓場で尋ねるにはあまりにもお膳立てされていると思ったからだ。けれどその逡巡は数秒で終わりを告げた。
「余計な心配じゃなくてしてあげようか」
 君が私に望むならね、と付け足した。あまりにもお膳立てされた、月の美しい冷たい夜だったので。
 ドラルクの言葉にロナルドは、それもいいなぁ、と笑った。

「あ、そういやさ」
 アビリティの組み替えがようやく終わったロナルドは教会から出て、ダンジョンの入り口までやってきていた。村の外れの墓石を動かすとそこが入り口だ。スティックを動かして、再びダンジョンへと舞い戻る。下層へと潜っていくそれは随分と深かったはずだから、今からやり直すにしてもかなり時間はかかるだろう。
「これ、やる」
 ロナルドが自分の足元に置いてあった長方形の箱をドラルクに投げてよこした。突然の行動に受け取り損ねるかと思ったそれをドラルクはどうにか受け止める。ドラルクの腕の中で、箱の中身が揺れると、それなりに重量のある液体が入っていることがわかった。
「お前、誕生日だろ。わざわざロナルド様が調達してやった血液ボトル」
 長方形の箱はシックな黒いもので、そこに銀色のリボンがかけられていた。言われて初めて今日が自分の誕生日だということにドラルクは気がついた。そういえばロナ戦のコンビ編を書くからと言われたときにプロフィールを聞かれた気がする。吸血鬼も長くやっていると自分の生まれた日があっという間に毎年やってきすぎて、祝う気持ちが薄くなってくるので、すっかりと忘れていた。
「あ、なに?! もしかしてロナルド君、それで今日うち来たの?」
「……こういうのは後日渡してもしらけるだろうが」
 コントローラーをいじる手を止めたロナルドはしばらくの沈黙の後、絞り出すようにそう呟いた。
「君、意外とこういうの律儀だよね」
「俺はお中元もお歳暮も、仕事関係では欠かさないタイプだぞ」
「私に贈ってくれたことないよね!? 初耳なんだけど!」
「てめぇにハムやら酒やら贈ったって仕方ないだろ、結局俺の腹に入る」
 いや、まあ、そうだけど、とドラルクは答えて、リボンを解いて箱を開けた。中に入っているボトルにはラベルも貼られておらず、遮光性の茶色いガラスの中に粘度のある液体が揺れているだけだった。せっかくだから今飲もうかなあ、とドラルクは独り言のように口にして、キッチンにグラスを取りに行くことにした。ロナルドはドラルクが受け取ったのを確認すると気が済んだのか、またゲームに戻っている。
 ドラルクはキッチンからもってきた肉厚のワイングラスに、ロナルドが投げて寄越したボトルから中身を注ぐ。ロナルドはドラルクの方を一瞥もせずに、ゲームプレイに集中しているようだった。こういうのって普通はあげたプレゼントの反応見たりしないのだろうかとドラルクは思うが、ロナルドはそういう気持ちはないようだった。ワイングラスに注がれた血を、ロナルドがプレイしているゲーム画面を眺めながら口に含む。
「ん?」
「……なんだよ」
 俺が持ってきたものになんか文句あるのか、とでも言いたげな語気の荒さに、気にしていないように見えたロナルドも自分の反応が気になるのだな、と少し考えを改めた。いや、それよりも今口に含んだ血の味に覚えがあることのほうが引っかかる。ドラルクは燃費の良い吸血鬼であるから、それほど人間の血を飲む機会が多いわけではない。最近は吸血鬼のための食用血液というものも巷に流通し出してはきたものの、普及するまでには至らない。いつかレストランやネットなどで気軽に頼めれば良いのだけれど、と思う程度には手に入りにくいのが現状だ。だから、飲んだことのある味というのにもすぐに思い当たった。
「これ、君の血?」
 ドラルクの記憶に間違いはなかったらしい。言い当てられたロナルドは少し気まずそうに黙ったまま、エンカウントした敵を見事な手際で倒している。
「……他の人間の血だったらまずいだろうが。吸血鬼退治人である俺が、吸血鬼のお前に、他人の血液贈ってたらやばいだろ?!」
「うわ、いきなり大声を出すなよ。君が寄越してきたんだろうが」
 気づかれるとは思っていなかったのだろうか。ロナルドの血液を飲んだことがあるのを、彼自身あまり覚えていなかったのかもしれない。ドラルクは思いも掛けないプレゼントに急に機嫌が上向きになっていくのを感じた。
「でもそれこそさあ」
 口の端が上がっていくのを抑えられない。ニヤニヤと悪い笑顔になっているのがわかったし、ロナルドもわかっているのか、頑なにこちらをみようとはしなかった。
「吸血鬼退治人の君が、吸血鬼である私に、自分の血を捧げるなんてまずいって思わなかったの?」
 意味深だよね、とダメ押しのように付け加えると、ぎしりとロナルドが固まった。そこまで深く考えていなかったのか、滑らかに動いていた指が急にぎこちなくなる。華麗にスキルとアタックを組み合わせていた戦闘は数秒でガタガタになり、先ほどと同じ、パーティーが全滅した、というシンプルな一文が画面に表示されるまでさほどかからなかった。
「……意味深かもな」
 テレビ画面の青みがかった光に照らされた彼の横顔は赤い。ロナルドがコンティニューボタンを押さないことをドラルクは確信して、ゆっくりと彼の頬に指を伸ばした。



 その日は誕生日だった。
 いつかのクリスマスと同じようにドラルクは、教会の裏手の墓を真夜中に散歩していた。月の光が美しい冷たい夜のことだった。教会の裏手の墓場はいつかやってきた時と同じように広くもなく、簡素な十字架とその根元にプレートがはめ込まれているだけの、殺風景な場所だった。墓場の入り口には門はなく、したがってドラルクがそこに忍び込むことは簡単だった。
 ドラルクは広くはないその場所をいつかと同じように歩き、何かを探すようにあたりを見回していた。剥き出しの土は踏み締めると硬く、目的のものを見つけるのに少し苦労をした。何せ十字架が突き立っている場所はドラルクにとっては地雷原にも似ているし、根元のプレートは装飾という言葉を捨て去った簡素さで、何が刻まれているのか見づらいのだ。それにドラルクにとって、そこに刻まれている名前は全く馴染みのないものでもある。
 それでもそこがわかったのは、まだ真新しい花がたくさん供えられていたからだった。美しい百合、華やかなカーネーションに、ささやかな小菊は墓に供える花らしく全てが目に痛いほどに白い。ロナルドの好きな花などドラルクは知らなかったし、花を愛でるような精神を彼がしていたのかも甚だ疑問だったので、手ぶらだった。そもそも今日は己の誕生日なので、ドラルクは彼に何かを渡すつもりなど一片もなかった。
「君の体が本当に塵になってしまっていたらね」
 私だってこんなことはしないんだけど、とドラルクは墓の前でしばし立ち尽くして考えた。ロナルドの簡素な墓のプレートの下には、白木の棺が埋まっている。その中にはまだ腐り始めてもいないだろうすっかりときれいな彼の体があるはずだった。
 ドラルクは十字架に触れぬようにしゃがみこみ、供えられている花の花弁に指先を滑らせた。今日の昼に切花となったばかりとでもいうようなそれは、ここにあるにはあまりにも生命力にあふれ過ぎている。
「君の体が本当に塵になってくれたなら、私だってこんなことに気づきはしなかったのにね」
 まったく、君は本当に悪い人間だよねえ、ロナルド君、とドラルクは呟く。それから諦めたように、ため息をついて、真っ白な十字架に手を伸ばす。
「君が招いてくれないと、私は君の棺には入れないんだよ」
 月の美しい夜に、冷たい風が吹いて、墓の前で十字架に触れた吸血鬼の塵を吹き飛ばす。

ドラルクはすぐ死ぬけど、結局は再生して復活する吸血鬼です

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