2.映画を見る

 事務所そのソファを動かして、みんなで映画を見るのは誰が言い出したわけでもないのに定期的に行われている。ロナルドがヘルシングの映画を見せてきたのがきっかけで、メビヤツをプロジェクターにすれば、ホームシアター並の迫力で映画を楽しめると分かってからは、気が向いたら事務所で映画を見る会が開催される運びとなっている。
 別に示し合わせなくても良いのだが、いつのまにか自我を得てしまったメビヤツはロナルドのことを慕っているし、ドラルク一人でメビヤツを運んだり、スクリーンがわりの布を張ったりするのも面倒くさいので、ロナルドを誘っていたら、いつの間にか二人と一匹プラス一体で映画を見るのが習慣になってしまった。
 事務所のソファやテーブルを動かす準備をロナルドにさせる傍ら、ドラルクは映画を見ながら食べるスナックの準備に余念がない。塩とキャラメルのポップコーン、8枚切りの食パンを使った薄いピザトースト、軽いサラダとそれなりの量を用意したのは夕飯がわりにしようとも思っていたからだった。
 皿に乗せて運ぶこと三往復すると、テーブルの上には食事が並び、プロジェクターとスクリーンは設置されて事務所の灯りが落とされている。最後に氷の入ったグラス二つとペットボトルのコーラ、自分用に牛乳を持っていけば終了である。
 映画を見るにあたって、三人それぞれ一本ずつ持ち寄ると、映画を一日に三本見ることになる。まさか一時間半のアニメ映画を見るわけでもあるまいし、昨今の映画の長時間化から考えるとそれは限りなく無理な相談でもあるので、見る映画は持ち回りで選んでいる。今日はドラルクの番だ。
 ハリウッドの超大作や評価の高い名作も嫌いではないが、ドラルクはどちらかというとB級映画の方が好きだった。誰が見るのか、どうしてこのストーリーのままでいけると思ったのか、この特殊効果ならしない方がマシだったのでは? と突っ込みどころ満載の話や画面を見るのが純粋に楽しいのだが、そのような高尚な趣味は若造には全く理解しがたいらしく、不評を買うことが多い。面白いとは手放し言えないが光るところがあるのがB級映画だし、さらにその下のZ級までは持ってこないのだから、少しは手加減しているということも理解して欲しいものだ。
 それはともかくとして今回ドラルクが選んだのはB級と名高いジャパニーズホラーだ。日本のホラーはひたひたと怖がらせるのが実にうまく、物理的に襲われたら死ねば解決だなと思っているドラルクからしてみると洋画のホラーよりも背筋が冷えて好ましい。
 ここら辺の持論はロナルドとは全く逆で、あの五歳児はどちらかというと拳で殴れない幽霊は好きではないようだった。腕力と暴力に優れているくせに命が一つしかない人間というのは不便なものだ。ロナルドのことだからもしかしたら、鉈を持ったジェイソンなら殴れば勝てるだろうと思っているかもしれない。
 ドラルクは今回自分が選んだ映画を見てはいなかったが、中々面白いのだとは聞いていた。後半からどんどんと迷走していくというレビューを見ると、どんな風になるのやら気になる。
 ソファではロナルドとジョンが並んで座っている。ジャパニーズホラーはあまり得手ではなさそうなロナルドも見る気はあるようで、緊張半分、興味半分と言った面持ちでソファの背もたれに寄りかかっている。ジョンも怖がりといえば怖がりなのだが、ドラルクに似ているせいか、好奇心が勝つのだろう。皿に乗っているポップコーンを口に放り込みながら、ヌヌヌ、ヌヌヌとスクリーンに投影された白い長方形を見つめている。
「面白いと良いねえ」
 そう言いながらジョンを挟んで、ロナルドの隣に座ると、ロナルドは酷く胡乱な表情を浮かべてから、そうだな、と小さく答えた。
 
 結論からいうと、映画は意外と怖かった。いや、実際に今見ている途中ではあるのだが、最終的には霊能力が出てきたり、御祓や呪いのバーゲンセールになるらしいと把握していたので、冒頭がきちんジャパニーズホラーの様相を呈していてドラルクは驚いた。
 大して怖くねーって言ったのはどこのどいつだと先ほどから幽霊が出てくるたびに殴り殺され砂になっていたが(したがって一発目は冒頭一分三十秒である)ロナルドはもはやドラルクを殺す気力もないようで、ジョンを抱えて、すっかりと静かになっている。ジョンはジョンで怖がりなので、人の腕に収まっているのはそれなりに落ち着くらしく、ロナルド同様大人しくしている。
 ロナルドと違ってジョンは怖いもの見たさの好奇心が強いので、それなりに楽しんでもいるようだ。そもそも終盤に差し掛かってくると幽霊同士が呪いあうと言った展開になるはずなので、そこまで見ればもはやホラーというよりは怪獣映画のような感じになってくるはずだ。
 それなりに怖い演出は入ってくるし、大きな音や勝手に閉まるドアなどの展開が入ってくるたびにロナルドはわずかに体を動かすがそれだけだ。テーブルの上の食事も大して減ることもない。ロナルドが怖がる様子というのはドラルクにとって面白いことの一つだが、ここまで無反応かつ食事の進みが悪いとなると、失敗したと言わざるを得ない。今度からジャパニーズホラーはロナルドがいないときに見るのがいいだろうなあ、とドラルクはロナルドの様子を横目に見たながら思った。
 家にはいったら友人が首をつって自殺をしている、という場面まできたところで急に画面が乱れてフリーズする。ロナルドはぎくりと体をこわばらせたし、さすがにドラルクも驚いた。三秒ほど二人と一匹で画面を見つめていると、ぶつ、と画面は真っ暗になって、メビヤツがディスクを吐き出したメビヤツだけがぱちくりと瞬きをしてその様子を眺めていた。最初に我に返ったドラルクはディスクを手に取ってしげしげと眺める。
「あ、これ傷がついてる」
 だから再生止まったみたい、と付け加えるとロナルドは体に入っていた力が抜けたようで、いつの間にか握り締められていたジョンが、ヌーと言いながらロナルドの腕の中からほうぼうといった体で抜け出している。
「あんまり怖くなかったね」
 最後まで見れなかったけどとディスクをしまいながら言ういいながら事務所側の電気をつけ振り返ると、ソファに座っていたロナルドの顔色は少しばかり悪かった。
「そんなにお化け苦手だった?」
 滑り込むように隣に座ると、ロナルドの腕から抜け出したジョンがドラルクの膝の上にのる。このアルマジロはいつでも可愛い。ロナルドの手の間はちょうど一玉分空いており、指先は少し震えているようにドラルクには見えた。
 何がそんなに怖いのだろうとドラルクは思った。確かにホラー映画は恐ろしい。人が恐怖を感じるように作ってあるからだ。いくらB級映画と言えど、ホラー映画であるからには全く怖くないということはほぼない。けれどこれはあくまでもフィクションで、ただの作り物だ。ドラルクからしたら幽霊よりも自分に危害を加えてくる実在する物の方が恐ろしい。例えばロナルドがなんでもないように日々やっている吸血鬼退治だって、なんでもない害虫駆除ならまだしも、A級を超える吸血鬼の存在だってないわけではないのだし、そういうものと戦うことの方がドラルクにとっては恐怖となり得る。そもそも人間にとって自分よりも強大なものに命を顧みずに立ち向かうということは勇敢な行為とされがちだし、実際に高等吸血鬼と人間には絶対的な実力差がある場合が多い。
 だからそんなものに比べれば、本物の幽霊ならばまだしも、映画のスクリーンの中にしかいない作り物など、顔色を失い、指先が震えるまで怖がるようなものではないのではないだろうか。ロナルドにとってはそちらの方が余程恐怖を感じるような事態なのだろうか。あるいはこの若造が、人間が時折陥りがちなヒロイックな陶酔というものに蝕まれていたのなら話は別なのだが。
「子供の頃」
 ドラルクがぼんやりとそんなことを考えている時間はそれなりに長かったのにもかかわらず、ロナルドはその間じっと何も投写されていないスクリーンを見つめていた。それからようやくと小さな声で言葉を吐いた。
 子供の頃? とドラルクはロナルドの言葉を脳裏で繰り返し、珍しいと思った。彼が幼い頃の話をするのはほとんどなく、聞いたことといえば、彼の兄が親代わりだったこととそれにまつわる兄に対する、今時小学生だって信じないような盲信的な憧れだけだ。それからアルバムにきれいに並べられることもなく、金属の缶に無造作に入った十何枚かの写真だけ。だから彼がそんなことを改めて口にするのは本当に珍しいことだった。
「家によくお化けが出てた」
 静かな声だった。
 静かな声だったので、それが到底冗談には聞こえずに、ドラルクは一瞬どんな対応をすべきなのか悩んだ。彼のホラー映画に関する怯えようは彼の記憶が確かに刻まれていることの証左なのかもしれないが、生憎ドラルクは家に頻繁に出るようなお化けの知り合いはいない。
「え、何それ、そんなことあるの?」
 記憶違いとかじゃないの? と戯けたように付け加えるが、ロナルドは酷く真剣に見えた。ドラルクはロナルドのその横顔を数秒眺めて気が付く。彼は真面目に説明をしようとして真剣な表情をしているわけではなく、ただぼんやりと昔のことを思い返している結果全ての感情が抜け落ちて、無表情になっているだけなのだということに。
 時折訪れるロナルドのその挙動がドラルクは苦手だった。常は反応が良すぎるくらいの五歳児でこちらを殴ったり殺したり、煽り耐性が低すぎて拳がこちらに向かってくるのが一日何回あるのか数えるのも馬鹿らしいというのに、こういう風になった時はまるで仮面を被った人形のようなのだ。けれどその状態でありながら、このように話をしている状況というのは珍しく、ドラルクはわずかに好奇心に駆られた。
「こんなことで嘘つくわけねーだろ」
 声音には笑みの気配が乗っているが、彼の表情が動くことはない。先ほど観ていた映画よりもこの現実の方が余程ホラーっぽいな、とドラルクは思いながら、訥々とロナルドが語る話に耳を傾けることにした。
 
 お化けはいつも夜中に出てくる。押入れの中でまだ小さな赤ん坊の妹を抱いて寝ていたはずなのに、ふとパチリと目が覚める。あれはすごく不思議なんだけど、自然に目を覚ましたようなものじゃなくて、急に意識が明確になったような感じになる。腕の中の妹は小さいのにぐずることもなくよく寝ていて、俺は妹を起こさないように、でもどうして目を覚ましたんだろうって不安になって、妹を抱いている腕の中が暖かいことに意識を集中しようとする。
 寝る前には絶対にしっかりと閉めたはずの押入れの襖がわずかに開いているのに気が付く。毎回そうなのに、襖が開くのに気が付くまでは、すっかりと忘れてる。押入れの向こうの部屋は電気がついているのか明るくて、開いている襖の分だけ細い光が差し込んでる。
 俺は押入れにさすその真っ白な光を見ている。自分の足の指先にかかってるその線をゆっくりと視線で辿っていく。辿ってはいけないってわかってるのに止められない。勝手に動く目に抗えないまま、隙間を覗くとそこにそいつはいる。立っている足が片方だけ見える。
 押入れの下の方で寝ているから、そいつはしゃがみ込もうとゆっくりと動く。足だけの影の形がゆっくりと丸く大きくなる。開かれた細い隙間を覗き込むように、ゆっくりと顔を傾けている。
 部屋の電気が明るすぎて、お化けの顔は見えない。男の時も、女の時もあって、顔が見えなくて真っ暗なのに見た瞬間にどちらなのかわかる。
 そいつがこっちをじっと見ている。覗き込んでくる縦に並んだ二つの目はいやに充血して、視線が自分を突き刺すようだった。動けなくて息がとまりそうな俺としばらく見つめあった後、襖の細い隙間に指がかかる。女の細い指の時もあれば、男の太い指の時もある。指に力がかかってゆっくりと開くと、不自然なくらいに傾けられた顔が開くにつれて現れる。血走った眼球と、赤らんだ肌がおよそ幽霊らしくないのに、それがそうだとわかる。逃げられないとわかっているから、抱えていた妹を自分の背中の方に寄せる。無駄だと知っていながら、自分もなるべく押入れの奥の方へと後ずさる。
 隙間から伸びてきた手のひらが、足首を掴む。その手が氷のように冷たくて、俺は喉から上がりそうな悲鳴を噛み殺す。
 
「っていうのがよくあったから、まじでお化け無理」
 ロナルドは話している間に逆に落ち着いてきたのか、そこまで話すとすっかりと話を終えたという雰囲気でもうすっかりと覚めて固くなってしまったピザトーストを口に放り込む。ドラルクはロナルドの説明がどうも真に迫っているのが、なんとも嫌だなあと思いながら、ふぅん、と相槌をうつ。こんなところでその作家たる本分を発揮しなくても良いのではと思わないでもない。
「っていうか君、押入れで寝てたの?」
 ドラえもん大好きな小学生みたいだねぇ、と毒にも薬にもならないような感想を口にすると、ロナルドは毒気を抜かれたように、口の端を歪めた。
「いや、突っ込みどころそこかよ」
「うーん、っていうかその話って終わってなくない?」
「終わってないって?」
 ロナルドの返答には純粋な疑問の気配しか感じられない。
「君は幽霊に足を掴まれた。それでその後どうなったの?」
 ホラー映画なら暗転ののち死んでいる。あるいはなぜか無事だったけれども呪われてしまったとかがセオリーなのでは? とドラルクは思う。ロナルドはドラルクの質問に、なんと答えれば良いのかしばらく悩むように首を傾げたあとで、別に何にもねぇよ、と答える。
「何にもないって何?」
「いや、お前この話食いつくな」
 別にいいだろ、大した話でもないし、とロナルドはなんでもないように続ける。確かに実際そうなのだが、興味を惹かれることも確かだ。というよりもなんだか話がスッキリ終わらなくて気持ちが悪いというのが正直なところだ。
「別に、次の瞬間には朝になってて、俺とヒマリは押入れのある和室で寝ててさ、大抵兄貴がもう起きてて、こっち見てるってだけ」
 それで学校の支度して、兄貴と一緒に学校に向かってってくらいかなあ、とロナルドは続ける。確かにホラーの顛末としては、あまりにも呆気ない。話さなくても良いかとなるのもわからなくはなかった。
「まあ、昔の記憶だから曖昧なんだよな」
「ふぅん、そんなもん?」
 なんでもない相槌だったのに、ロナルドはドラルクのその言葉に少し虚を突かれたような顔をして、口を二、三度開け閉めしてから「そうだよ、そんなもんだ」と言った。
「だから日本のホラー映画はあんま好きじゃねぇな。海外のなら大丈夫。殴れば勝てる」
 グッと拳を握るロナルドの顔は決意に満ちている。そんな決意は別にいらないのだが。
「考え方が原始人」
 話しているうちにすっかりと表情が戻っているロナルドにひとまず安心をした。食欲も戻ってきたようで、ポップコーンも口に放り込んでいる。若造の弱みを握って、色々とからかうのがドラルクは好きだが、それでも踏み込めない箇所というのはあって、これはその類だと理解できた。だから居室側は洋風でフローリングで、クローゼットなのかもなあ、と詮無いことを考えながら、今度はジャパニーズホラー以外の映画を選ぶことにしようとぼんやりと思った。

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